北風小僧の寒太郎への愛

こんにちは、しもとです。

 

さてみなさん、「北風小僧の寒太郎」

という童謡をご存知でしょうか?

この歌は1972年

作詞:井出 隆夫さん

作曲:福田 和禾子さん  

により産み出された名曲であります。

 

みなさん一度は聴いたことがあるのではないでしょうか。

しかし、冬の歌かなぁ~というくらしか感想を持っていない方も多いかと思います。

そんなみなさんに、この歌の切なさをお伝えしたいのです。

 

1.寒太郎は何者なの?

まず始めに、ここからは完全に私の妄想で書き進めていきますのでご了承ください。

                      

さて、寒太郎とは何者なの?最初に出てくる疑問はここかと思います。

歌の中では、寒太郎の出生や親兄弟など個人的なプロフィールについては触れられていません。

1番の歌詞に、「今年も町までやって来た」というフレーズがあります。つまり寒太郎はどこかに留まることなく、町から町へ移動する存在、つまり北風の化身ではないかという事が推測されます。これは曲のタイトルである「北風小僧」からも読み取れますが。

 

ここまでだと、一体なにが切ないの?とお思いでしょう。しかし、寒太郎の本当の切なさはここからです。

 

2.寒太郎はどんな気持ちでいるの?

私がみなさんに伝えたい、わかってもらいたい事はここからです。

 

みなさんは冬は好きですか?

寒いのが苦手という方もたくさんいるでしょう。

しかし寒太郎は北風の化身、きっと近くにいたら凍えてしまうかもしれません。

寒いのが苦手な方にとっては、あまり喜ばしい存在ではありませんね。町の人々は寒太郎が町へやって来ると、冬支度を始めるのでしょう。

 

寒太郎は人々に冬の始まりを告げますから、それをありがたく感じる人がいる一方、寒さを疎ましく感じる人からは、嫌われてしまっていたかもしれません。

 

本当はみんなと遊びたい、だけれど近づけない、そんな寒太郎の気持ち…。

これは2番の歌詞最後の

「寒うござんす」と、

3番の歌詞の

「電信柱も泣いている」

から読み取ることができます。 

北風の寒太郎には寒いという感覚はあまりないはずです。しかし寒いと言う寒太郎。

これは肌に感じる寒さではなく、心の寒さなのではないでしょうか。

そして自分が通る度に寒そうに揺れる電信柱に、気持ちを重ねているのかもしれません。

 

冬の寒さにうんざりしたことはありませんか?そんな時、寒太郎はもっと悲しい、寒い思いをしているのです。

 

3.きっと寒太郎は今も

 

1・2で触れたように、寒太郎は一人ぼっちで町から町へと渡り歩き、冬の訪れを伝えているのでしょう。

 

きっと私たちの住む町にも寒太郎はやって来ているのです。

 

人は寒さが厳しくなるにつれ、肩を丸めてポケットに手を突っ込んで、下を向いて歩いてしまいがちです。

 

そんな時、少し立ち止まって空を見上げて見てください。

どうでしょう?

木枯らしが吹き、枯れ葉が舞っています。 

 

そう、寒太郎です。

寒太郎があなたに冬を知らせています。

心の中でもかまいません、寒太郎にこう言ってあげてください。

 

「ありがとう」と。

 

寒いのに?ありがとう?なのかと疑問ですよね?さあ、よく考えてみてください。 

冬はたしかに寒いですが、食べ物もおいしくなり、町はイルミネーションでキラキラと輝き心踊る出来事もたくさんありますよね?

 

それも、寒太郎が運んでくれる冬のおかげなのです。

 

ありがとう、寒太郎」

 

そう言いたくなりませんか?

 

 

4.最後に

 

ここまで私の妄想をお読み頂き、ありがとうございました。

この北風小僧の寒太郎については、友人たちにも再三話している事ではあるのですが、なかなか理解されることはなく、むしろ爆笑されるばかりです。

 

この記事を読んでくれた方、だれか一人でも

北風小僧の寒太郎に思いを馳せてもらえたなら、本望です。

 

ありがとうございました。

では、ヒュルルルルル ルン